戦後56年目を迎えた小笠原諸島は、太平洋戦争末期に本土防衛の最後の砦として重要な戦略拠点となり、本土で真っ先に戦場となった。小笠原諸島には、“硫黄島”を始め、父島や母島には陸上、海底を問わず、今も戦争の傷跡ともいえる数多くの残骸が、戦跡として風化されるにまかせたまま放置されている。
平成6年、旧海軍の特殊潜航艇(甲標的丙型)1隻が発見されてから、今年で7年目の夏を迎える。その10年前にも同型艦も確認されている。その2隻は、今もひっそりと小笠原の澄み切った海底で眠っている。
特殊潜航艇は、太平洋戦争中、本土決戦に備え、昭和19年8月、甲標的6基が進出命令が出され、父島へ配備された。当時、父島にいた証言者によると、その内、到着したのは3基だけだという。
(本紙8月号より)
特殊潜航艇(航標的丙型)
◆静かに眠っている戦争の傷跡
終戦から56年目の夏を迎え、ダイバーらで賑わう群青に輝く小笠原の海で「戦争の傷跡」として静かに眠っている艦船や陸上に残されている、旧日本軍の大砲など。いま小笠原では、歴史の記録、観光の名所の一環として、役立てようと、戦跡を保存する声も高まっている。
◆小笠原近海に眠る沈没船は百数十隻も
小笠原の周辺海域の海底には、今もなを、戦争の傷跡ともいる数多くの軍艦の残骸が眠っている。小笠原近海に眠る沈没船は、旧日本軍が徴兵した民間船だけでも74隻、これに軍艦を加えると、百数十隻もの沈没船が現存している。
現在(2001年7月)沈没船の位置がはっきり確認されているのは、父島と兄島周辺海域では、7隻の沈船と3隻の座礁船がある。(吉村朝之氏・ダイバー)。同氏が20年前小笠原を訪れた時の調査では、兄島滝之浦湾に3隻、二見湾内に4隻、母島にも4隻の未確認の沈潜が海底に眠っていたという。このうち、平成6年7月、二見湾内で特殊潜航艇(甲標的)が新たに発見された。
▲境浦にある米軍飛行機の残骸と濱江丸 扇浦に沈んでいる旧日本海軍敷設艦