(ご意見、お気づきのことがありましたらE-メールでお寄せ下さい。)  【小笠原新聞社・主幹 山縣 浩】

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2007年10月

 森下村長の所信表明を聞いて

   互助と連帯感の醸成で夢と新しいビジョン描けるか


 19日開かれた19年度9月定例議会で森下一男村長村長の所信表明を聞いた。それによると、政策課題として、小笠原諸島振興開発特別処置法の延長、小笠原航空路早期開設、世界自然遺産登録、デジタル化に向けた情報アクセスの改善、村内経済の活性化などを挙げた。

 森下村長の所信を聞く限り、“自主性、自立性の確立”“互助と連帯感の醸成”を旨に行動することで、“人と自然、人と人の共生する”素晴らしい小笠原村ができると確信している」と、強調している。が、これでだけでは小笠原村の総体的なイメージ、ビジョンがいまひとつ抽象的で具体性が示されていない印象が残った。これでは、長期的な企画立案と実践、まとめ上げていく力に欠けるように思う。

 例えば、森下村長は、杉田一男議員の本会議一般質問で、小笠原諸島振興開発特別処置法の延長について「2期目にやりたい重点は何か、村長は何をどうしたいから特別処置法を延長したいのか。その理念は?----」との質問に対して 、森下村長は、「その理念は、できることから着実に一歩ずつ、身の丈に会った事をやることが基本理念」と応えた。しかし、これは基本理念ではなく方法論であって、理念というならば、こうゆう考えにもとづいて、どう取組んで、どう実現させていくかである。  

 さらに、重要なのは、森下村長が村民生活に立脚した村益に立った理念を持つこと、明確で具体性あるビジョン(構想)を持つこと、そして、結果に結びつける行動と責任を持つことが求められる。加えて、謙虚な気持ちをもって、あらゆる人達の意見を公平に聞くことが必要だ。これらはある意味で空港建設決定以上に難しい。

 小笠原とは何なのか。何が「売り物」なのか。小笠原は南国(亜熱帯)ならではの美しい自然が残っている。本土では体験できないまぶしい太陽と青い海、亜熱帯特有の多彩な動植物群に囲まれた自然の宝庫は、本土とは別世界の異質の環境といっていい。だからこそ、世界自然遺産候補地にも選定されている。

 小笠原村は、他の地域にないこうした貴重な観光資源を持ちあわせているのである。だから、これまで村は、「観光立島」を島おこしの柱に掲げたのも当然だといえる。しかし、掛け声をかけるだけなら、誰でもできる。問題は、目標に向け計画的にどう積み上げ、どう実行していくかである。

 小笠原村の生活、社会基盤の整備は他の島に劣らない。むしろ整備されている。村にとって問われることは、そうしたインフラ整備を足場にして、島おこしにつながる活性化策が着実に実行に移せるかどうかである。

 もともと「(小笠原村の)“自主性、自立性の確立”」は、思いつきや抽象的議論だけでは、とても実現しえない。緻密な計画のもとに、一つ一つの部品を組み立てるように構築していくものだ。そして、イメージと現実が一致する小笠原村の「顏」を、築き上げていくことも不可欠の条件であることを忘れてはならない。 


(07.4.22)

 “馴れ合い”“マンネリ”議会から抜け出せ!

   実行力と人間性などをしっかり見抜いて投票を


 小笠原村議選は、いまのところ議席8に対し、立候補予定者は新人3人を含めた9人。村議員の中から、2人ベテラン議員が任期を終えて引退する。空席となった2議席に3人の新人候補が出馬し、辛うじて無投票当選は回避されたことは喜ばしい。

 しかし、島民にとってもっとも身近な選挙にしては、気がかりな点も多い。

 今回の選挙戦をみて、“馴れ合い”“無気力”“マンネリ”の議会をそのまま持ち込んで、立候補予定者はっきりした政策が必ずしも示されず、盛り上がりを欠いていることだ。

 小笠原村には、問題が山積している。何よりも村の地域開発、観光振興、島おこしを急がなくてはならないが、実現可能な具体的展望を持った、島の未来像は示されていない。

 残念ながら、村はなかなか補助行政から抜け出せない。小笠原は特別法よって制度的に制約があるだけに、経済力が弱く、補助行政に依存することもやむを得ない。しかし、だからといって自主性を欠いた“あなたまかせ”の補助行政のぬるま湯に漬っているだけでは、島の振興も受け身のものとなってしまい、意欲的かつ計画的な島おこしは期待できない。

 補助行政が議会や議員活動の無気力や、馴れ合い、マンネリを生んでいるとしたら、島にとっては自ら墓穴を掘るに等しい。

 一方の有権者も、これまでの地縁、血縁や馴れ合いなどによる無気力な投票から、断固訣別してほしい。村民から聞くと、最も力をいれてほしい政策として(1)村民に顔を向けた政治(2)本土との“空の便”確保(3)福祉の充実ーなどを挙げているが、こうした小笠原の課題に対し、なにをどう実行しようとしているのか、有権者は立候補者の示す政策とビジョン、その実行力と人間性などをしっかり見抜いて投票してほしいものだ。

 8議席に立候補者が9人とあっては、落選者一人を除き全員が当選することになるが、そうである以上、当選してもイコール有権者の信任を受けたことにはならない。票をどれだけ確保したかという投票数で評価すべきだろう。

 島民は口グセのように、「議会は活力、緊張感に欠け、なにをやっているのかも良く見えない」と批判する。が、これは、そういう議員を選んだ有権者にも半分の責任がある。

 これからは、中央依存体質から脱皮し、自らの地域づくりを競い合う時代に、馴れ合いとマンネリで貴重な一票を無駄遣いしたのでは、島はますます取り残されるだけだろう。「意思」のある一票を行使することによって、島に自治の活力あふれる風を吹かせよう。


【2005.7月】

  森下村長所信表明 「TSL問題」説明なお足りず

    不安増大!---村民


 平成17年第2回村議会定例会での森下一男村長の所信表明は、今秋就航予定の高速船「テクノスーパーライナー」(TSL)について、運航会社の小笠原海運(本社・港区)が、船の所有会社にリース契約の解除通知を送り、就航そのものが危ぶまれる事態となっていることから、異例ともいえるTSL問題に終始した。

 一般質問に対する答弁は、依然として議会とりわけ、村民に対して丁寧な説明と今後の対策、対応についての具体的説明が欠けている。所信では、村の重要課題である観光振興、自然保護、医療・福祉の問題など重要な課題についてなんら触れていない。所信表明は、森下村長がこの懸案事項にどういう姿勢で臨み、何を目指しているか―を明らかにするものでなければならない。森下村長は、今後、議会との論戦を通じて、政策全般を共同歩調をとりながら、掘り下げて語っていく必要がある。

 今回行われたTSL就航問題について異例の所信表明は、残念ながら今後の取り組みについて、納得のいく中身に乏しかったと言わざるを得ない。村の生活路線として、民生の安定を図る上での対処は、村が観光立島をどう進めるか、産業振興をどう進めるかに触れないのでは、決意のほどが伝わってこない。単に村長の「思いの糧」を強調した一般論である。           

 いま小笠原村民が最も強い関心を抱いているTSL問題も、村が「村民だより」で伝えている内容も、これまでの経過を述べているに過ぎない。村長は「情報収集に努めている」「関係者にお願いしている」と、説明するだけだ。肝心なのは、いま起っている事態を村民の不安に、どう応えどう説明し納得させるか、である。

 TSL就航問題は、新たな局面を迎えている。にもかからず、「座して待っているわけではない。(国や都が)7月20日まで示すと言っているから----。号外も出した。非常事態と思っている」の一点張りである。これでは、自身が就任した時の基本政策の「観光立島・~成長から成熟へ~」が根本から問われる。なぜ小笠原村が、当初TSL就航に手を上げたのか、改めて考えそして語るべきことは少なくないはずだ。

 村民の目線からしても、「他人(ひと)事」「責任回避」と、あきらめ顔でささやかれている。本腰で取り組んでいないように見える。「交通アクセスの改善なくして小笠原の発展はない」「自然に優しい、観光立島」など、全体にこれまでの掛け声が前面に出た印象はぬぐいきれない。村民が耐え忍ぶ労苦に比べ、取り組み方があまりに甘いからだ。

 一方、村議会は一般質問などを通じて、TSL就航問題などで論点を煮詰め、森下村長の政策や姿勢に対抗軸を示すことが大切だ。村民の立場に立った遠慮のない質疑を求めたい。この問題をめぐっては、小笠原村の将来像を決めるうえにも軽視できない意見、懸念が出ているからだ。

 村議会本会議での森下村長の粗っぽい答弁が一段と村民への不信を招いた。その反省を踏まえ、一つ一つ誠実に対応するかどうかが重く問われる。身を削り、血を流す努力をしないまま、誘致への大合唱をしても、村民が得心することはあり得ない。このままでは、「小笠原空港開設」が白紙になった経過の二の舞いになりかねない。


社説/4月号

 第三次小笠原村基本構想十ヶ年計画

   計画推進に齟齬(そご)をきたすな


 新年度から始まる第三次小笠原村基本構想十ヶ年計画が、このほど、村議会で可決され決定された。 小笠原村基本計画は果たして、“村づくり”に役立つものとなるのだろうか。

 村は、二次にわたる推進十ヶ年計画を進めてきたが、昭和五十四年から始まった基本計画が三月末で期限を迎える。新計画は、これを引き継ぐ形で重点的に推進する事項を列挙し、あわせて新たな構想計画を具体的に示した。

 構想によると、戦略プロジェクトとして今回示された基本構想は、(1)基本構想の指標、(2)基本構想目標、(3)村づくりの施策の目標(将来像の実現に向けた施策の目標)の三章からなり、この構想に基づいて、十ヶ年計画(前期5年、後期5年)をたて、「村づくり」の実現に努めると言うものだ。 いずれも国外、国内、村内の整備と充実を掲げている。

 特に、第二次小笠原村基本構想計画から新計画で大きく変わったことは、「交流アイランド小笠原」から「持続可な島・成長から成熟へ」というキャッチフレーズを基に、(1)自主性と自立性の確立(2)互助と連帯感の醸成など、二つの村づくりの基本理念だ。

 そのほか、人と自然が共生する村として、航空路早期開設、計画的な土地利用、自然環境の保全と活用、情報通信体制の整備。活力ある産業で自立発展する村として、農業振興と安定した水産業の展開、観光産業としてエコ・ツーリズムの場の整備、拠点の整備などを上げている

ほかに、人が安心して暮らせる村、豊かな心でゆとりをもって暮らせる島、国民のオアシスを提供する島、計画実現のためになど六章からなっている。

 村議会での構想案の審議の中では、厳しい条件付きで構想案に限定して認められたものもある。また、土地利用推進の中での「世界自然遺産への登録」を前提として、農地法の適用、特別賃借権の今後の取扱い方針等は、これからの課題だと指摘されている。

 平成17年春に就航する超高速船テクノスパーライナー(TSL)就航について、受け入れ態勢なども重要課題として盛り込まれた。新計画の骨子が「村づくりへ向けて活力ある産業で自立発展・観光立島」となったのも、そのためである。 いずれにしても、実現のカギは推進体制の確立だ。

 村は、早期に「推進本部」や「推進会議」の創設を図り、確実に推進する仕組みづくりが必要がある。そして二つの機関の役割分担、権限など明確にしていくべきだ。

 これまでは安易に各団体のトップである代表が議論の段階から関与することで、「構想計画が骨抜きにされる」のを懸念する声も、民間の関係者の間に出ている。 業界団体の“個益”を貫こうとすれば、新計画は文字通り“計画倒れ”になってしまう。

 計画推進に齟齬(そご)をきたすようなことがあれば、推進体制そのものを機動的に見直していく柔軟性も必要だろう。


2004.3月号

 観光立島化へむけて

  “夢”のある産業おこしを


 森下村政がスタートして、早くも約8ヶ月が過ぎた。小笠原諸島返還35周年記念式典も、佐藤泰三・国交省副大臣を始め、石原慎太郎・東京都知事、内田茂・都議会議長ら関係者130人が出席し無事終えた。

 式典の中で森下一男村長は「本日を契機に、良き伝統を守り育て、小笠原から世界に発進できるような意気込みをもって『村づくり』に邁進したい」と力強く「村づくり宣言」をした。たしかに、これからの小笠原村はこうした決意と意気込みをもって事に当たらなければならない。

 村は、新年度の予算編成期を迎え、村議会も迫っている。村の“命運”を握る小笠原諸島振興開発特別措置法(特振法)の延長も決まり、村の発展、村民の生活安定へ向けた具体的振興プランの提示も、“待ったなし”の時期を迎えている。

 21世紀の「小笠原村」の将来図をどう描き、どう実現に向けて発展させていくかーー、村の最大の関心事は、延長された特振法に基づき、来年度から始まる第2次の島の振興開発計画を“島益”のために、どう有効に展開していくかという点であろう。

 そのためには、真に自立した「村づくり」につながる、実効性のある“青写真”づくりと、実現への情熱ある実行力を持たなければならない。

 いま、村の最大の課題は長期ビジョンを示し、それに基づく地域活性化プランを住民に示し、合意を図ることである。

 村の振興事業は、復興事業、振興開発事業と名称を変えながら、これまで総額約1,200億円規模の巨費が投入されてきた。復帰当初の帰島住民の住宅確保や、生活関連の基礎的なインフラ整備の投資は当然だった。これはこれで一応評価できようが、こうしたインフラ整備は、他の町村と同様、一定水準に達したはずだ。

 「観光立島」を目指すのは、小笠原の大テーマだが、これを達成させていくには、長期ビジョンを視野に入れた総合的戦略が必要だ。それには今後の観光需要のポイントを探り、顧客を呼べる複数の観光資源のメニューを掘り起こし、小笠原を“特化”させた演出を工夫して、それらを商品化させていくことだ。

 例を挙げれば「亜熱帯・常夏の島」を武器に、顧客が島の持つ大自然の“生命の気”に触れ合えるよう、癒しの空間を演出することが、必要であろう。 

 森下村長は、昨年9月議会での所信表明で、「小笠原村も成長から成熟の時代へ」と強調した。基礎的なインフラ整備や対症療法的な事業は終わったという点で、確かに「成熟」の時代を迎えた。

 役所主導の予算消化型の事業を見直して、住民や島を訪れる人の目線で、活性化への明確な事業プランを作り上げ、果敢に実行していってほしい。

 「真の政策(行政)とは、“夢”のあるもの」という言葉もある。


2003.8月号

自然遺産と観光資源化


 世界に誇れる自然の「宝物」が、小笠原村に贈られるかもしれない。小笠原諸島の自然が、南西諸島(鹿児島県)、知床(北海道)とともに、世界自然遺産の最終候補地として選ばれた。村民にとっても、これは久しぶりの明るいビックニュースといっていいだろう。

 「世界自然遺産」とは、一九七ニ年に採択された世界遺産条約に基づき、世界の美しく貴重な自然を人類の共通の遺産として未来に残し、その地域を登録、監視をして保全しようという制度である。日本では、すでに白神山地(青森県)と屋久島(鹿児島県)が登録されている。

 小笠原諸島が世界自然遺産の候補として評価されたのは、言うまでもなく、この海洋島を特徴づける特有の生態系による動生植物の固有種や希少種である。

 現在の時点では、まだ登録が決定したわけではない。3地域ともあくまで登録の候補地に過ぎない。政府は、来年以降毎年一ヵ所ずつ推薦していく計画だが、それまでにはさらに現地調査を含む管理体制など審査が待っている。

 東京都は、小笠原村と連携してプロジェクトチームを立ち上げ、対応策を検討しており、すでに4月から母島の一部と南島で始めたエコツーリズムで「移入種持ち込み禁止」のルールを設けるなど、対策が始まった。

 最大の課題は、本土と隔絶された小笠原諸島の貴重な動生植物の固有種や希少種を移入種の流入からどう守るか、その管理体制どう築き上げるかという点であろう。

 村は、これまでも父島などでノヤギの駆除などを一部で実施してきたが、「東洋のガラパゴス」をめざす登録をしようというなら、こんな中途半端な環境の保護、管理では許されない。徹底した移入種対策を講じる必要がある。

 推薦が決まり、世界自然遺産への登録が認められれば、小笠原諸島は、世界的な価値のある“自然環境”の島となる。村にとっても村民にとっても、こんな誇るべき喜ばしいことはない。

 一部には「世界自然遺産に登録されると、規制ばかりが強まり、地域おこし(島おこし)にはかえってマイナス」「登録されても、自然地域は一般(観光客など)から隔絶されるので、観光資源にはなりにくい」といった冷めた声もある。

 確かに、登録される自然地域は、島の中の限られた「点」ともいうべき特定の地区で、観光客を含め一般の人がそこに立ち入って、自然遺産に直接触れ合うということにはなりにくいかもしれない。規制が強まれば、せっかくの自然の宝物も、一般からは無縁の「篭の鳥」にもなりかねない。

 しかし、ここで村として、はっきり認識したいことがある。世界自然遺産は、最高の誇るべき観光資源であり、観光対策、島おこしとして有効に活用する必要があるという点である。

 世界自然遺産は、あくまで「その遺産を自然のまま保護し、未来に残すもの」という考え方で一致している。しかし、だからといって、観光資源に活用することがまかりならんということでは決してない。

 問題は、この種のテーマでは必ず登場する「自然と開発の共生」をどう実現するかということだ。ガラパゴス(エクアドル)やトゥーバタハ(フィリピン)などの自然遺産は、世界的な観光資源としてクローズアップされ、世界から観光客が殺到している。上手に規制、管理している見本となる例だ。

 どのように小笠原諸島の自然遺産を保護管理し、同時に、どう規制の中で観光化へ有効活用するか。それこそ、知恵を総動員して、自然と開発の共生、融和を徹底的に究明してほしい。

 今回、世界自然遺産の登録候補地にリストアップされたことの本当の正念場は、観光資源活用のメリットをどう誘導できるかという問題である。


2003.7月号

重い有権者の選択眼


  宮澤昭一村長の突然の辞任に伴う村長選の告示が二十二日告示、二十七日投・開票(母島は二十六日)と決まり、俄わかに慌ただしくなった。

 「俄わかに」というのは、宮澤前村長が、議会のゴタゴタがあったとはいえ、重要な公式行事や懸案の問題が山積する中で、いきなり辞表を提出。村民は、思いもよらぬ異常事態に、戸惑いとともに深刻な衝撃を受けていた。トップに立つ人はこのような醜態を二度と見せてはならない。村政に対する村民の不信 感を益々強めることになりかねない。

 その点で、今回の出直し選挙は、村民に与えた極めて強い村政不信と失望をいかに払拭させてくれる首長が誕生するのか。「村政再生」の選挙といってもいいだろう。

 候補者は、女性の小笠原美恵子氏を含め、森下一男氏、石井孝氏の三人が名乗りを上げ、過去最高の立候補者の間で争われる。三氏は、どんな政治的決意と政策目標を持って立候補を決めたのか。村民は、確かな目で、選び抜かなくてはならない。そして、立候補者は、「小笠原を蘇生させる」との気構えで、臨むべきだ。

 日本の政治のトップリーダーとなる首相(総理)は、わが国が議院内閣制のため、国民から見ると、自ら選ぶ直接選挙ではない。国民が求める「人物」が、必ずしも首相の座に就くとは限らない。

 しかし、都道府県知事や市町村長は、市民自らが直接投票する。自らの「意思」と「主張」がそのまま反映するダイレクトの選挙である。が、それだけに、有権者の本物の“選択眼”が重く問われる選挙となる。

 「政治の質を決めるのは選挙民しだい」という。その通りだろう。善(良)くも悪くも、選挙民の投票しだいで、選挙民にハネ返ってくるのである。

 ポイントは、政策と実行力、公平なバランス感覚、人柄、この三つのチェックポイントをしっかり読み抜いて、納得のいく候補者を選択したい。

 村政のトップを、ただ“知りあい、頼まれた、縁がある”というだけで票を入れるようでは、墓穴を掘ることになる。

 選挙演説や公約で、美辞麗句を並べる候補者が多い。そうとは頭で分かっていても、結果的に、それに踊らされる有権者も多い。実行力、決断力はあるのか、公平なバランス感覚や良識ある人柄、人間性を兼ね備えているのか・・を見抜く必要がある。

 小笠原村政の課題は、山積している。市町村自治体も、“生き残り”をかけて激しい競争を展開する民間企業同様、自己努力による競争の時代に突入している。

  何よりも重視すべきは、深刻さを増している経済への対応である。それに加え、観光を中心とした産業の振興・医療、福祉への対応など、諸問題を確固たる信念のもとにいかに具現化し、実現させるか、ということである。

 小笠原村民は 、この村長辞任で受けたショックと深刻な不信感を“逆バネ”にして、村政再生を目指した歴史に残るような選挙を、そして、それに価する新生・村長を誕生させたいものである。  


2003.6月号

責任を放棄した村長辞任  


 村長の突然の辞任で、小笠原諸島返還35周年記念式典も延長ーー。何ともお粗末、見方によっては滑稽(こっけい)な悲喜劇ともいえそうだな“事件”が起きた。村民は、戸惑い、あきれ返り、「あまりに無責任だ」と厳しい批判の声を募らせている。

 村は、硫黄島訪島事業や返還祭に続き、7月15日には小笠原諸島返還35周年記念式典など目白押しの重要行事が予定されていた。そんな目前に迫った村にとっては“一大事”の重要行事を無視するかのように、宮澤昭一村長が、突然、村議会議長に辞表を提出した。

 こんな重要な時期に、何故、村長辞任なのか。任期切れとなる助役、収入役、教育長三役の後任人事で、とくに、村長が推す助役の人事案件に村議会が反発、継続審議となったことが、辞表提出のきっかけとなったようだ。

 村長提出の人事案件が議決されず、次議会での継続審議となれば、文字通り、村の三役は不在、村の自治体としての形態と機能を失う。一時期にしても、自治体として運営能力も喪失した中での記念式典の開催は困難と判断して、二転、村長の役職と責任を自ら放棄したのかも知れない。

 しかし、この村長の突然の辞職は、自治体トップの座にいる公人として、極めて無責任な行動といわざるを得ない。議会にも責任はある。争点となった後任助役の人事案件に反発を示すのは良しとしても、村の最大ビックイベントを前に、なぜ、異常な三役不在を招く継続審議だけで片づけてしまったのか。記念すべき式典を盛大かつ着実に実施しようという配慮があるなら、例え任期切れだとしても、特例措置を講じるなどで、三役不在といった異常事態を食い止める手段はいくらでもあったはずだ。

 しかし、村長辞任の罪は、それ以上に重いというべくであろう。議会が村長人事に反発したとしても、それこそ首長としてリーダーシップを発揮して、一時期にせよ、何らかの形で三役人事の調整に努力を傾けるのが、村長の責任であった。

 それを、あっさり「男は黙って消え去るのみ」の“迷言”を残し、トップ自らが役職をほうり出してしまうとは、村長として、重い自覚と責任意識を持ちあわせていたのかどうか疑わしい。そもそも「男は黙って消え去るのみ」の言葉は、大任を果たし終えた人間が退職するときの表現である。

 村長という首長が、不都合な事態に直面して、最も大きな責任を投げ出し、結果として、村民が待望する記念式典が延期という本末転倒の異常事態を見て、村民は一体何を感じるのだろうか。村政の無責任さ、それ以上のむなしさを感じ取っているに違いない。

 宮澤村長の辞任により、7月27日には村長選が行われる。村民の期待に応えてくれる村長を選び、分からせてくれる実行能力のある新三役を選出して、厳粛かつ内容富かな記念式典を実現しなくてはならない。


社説5月号

 マンネリ議会打破せよ


 村民が4年に一度、村議会と村議員の活動ぶりを“評価” する村議選の審判が下った。佐々木幸美(公明・元職)氏が過去最高の196票の得票でトップをして返り咲き、宮川晉氏が161票で第2位に当選。新人の大澤彰氏(無所属)が11票の僅差で激戦を勝ち抜き、初当選を果たした。

 8議席のうち、現職当選者5人、新人がわずか1人というのは、各自体で構造改革にからむ若返りがすすむ中で、少々物足りない印象もあるが、投票率が85%を超したのは、一応、評価していいだろう。とくに、小笠原村の特徴として、これまで地縁血縁、あるいは頼まれるままに票を入れる“受け身”の意識なき投票が目立だったが、こんな有権者の悪弊が、今回の選挙は多少なりとも改善されたように見える。そうだとしたら、村の発展に、それなりにプラス効果をもたらすことになる。

 上位当選5人が投票総数1.515票の内、約半数以上の816票を獲得し、初めて実質野党勢力で占めた。これにより、与野党系議員の勢力分布がこれまでの4対4の均衡から3対5に代わり、いっきょに野党勢力が強くなったのが、今回の選挙の最大の特徴といっていいだろう。

 野党勢力の急浮上は、何を意味するのか。有権者、つまり村民は、宮澤村政と議会に対し、厳しい反省と自覚を促したということだろう。はっきり言うなら、無気力、髄性、に近い政策行政から脱皮し、力強い村政への推進を要望したものに違いない。

 小笠原は、いま、自治体の自立変革を求められる中で、多くの課題を抱えている。難問山積の袋小路の中で、身動きがとれないというより、動き出そうとしない…と、村民はある種のストレスや不満を感じているといったほうが正しい。

 今年は、小笠原村が本土復帰返還35周年を迎える。6月26日には返還祭、7月15日には石原東京都知事を招いて返還式典が予定されている。定期航路にも世界初の超高速船テクノスーパーライナー(TSL・定員725名、1万4000トン)が平成17年4月から就航の予定で、これまでの本土への航路時間25時間半が17時間に縮まる 。

 最大の課題となっている観光立島への受け皿づくりは、一向に進んでいない。小笠原の島おこし、地域おこしの最大のポイントが「観光おこし」であることは、村民の合言葉である。どのようにして「観光の島」へ仕上げていくか、そのためには、歓呼立島への明確な青写真を策定し、それに向けて大胆かつ着実にひとつづつ観光インフラを整備していくことしかない。が、現実は、島の魅力づくりが、どこまで進んだというのだろうか。

 本土の市町村は、強い財政力と政策実行能力向上を目指し、合併問題が大きなテーマとなっている。合併を通じて自治体規模を拡大することで、活性化し、競争力の強化をめざしている。

 この点で、小笠原村は、特殊な立場から、「カヤの外」に置かれているが、活性化を求められている点では、小笠原村も例外ではない。村政が、こうした危機意識と緊張感を持っているのか、村民は、疑念を抱いているということでもある。

 今回の選挙で、村民は、マンネリを打破する新しい議会が誕生したと期待している。議会は、野党系勢力が強まったが、村議会という点でいうと、村民は「与党だ、野党だ」ということには、実は大した意味を感じていないはずだ。村にとっての身近かつ重要なテーマを具体的にひとつづつ解決に向けて実行に動いてほしいと願っているのだ。

 議会に新しい風が吹き、宮澤村政がもう一段、活性化し、躍動することを期待したい。


社説(2003.3月号)

 「選挙を機に」

    自覚と責任ある行動を求めたい


 四年に一度の統一地方選が間近となった。小笠原村の村議選が四月二十二日に告示され、二十七日に投票が行われる。立候補予定者が固まった地域では、すでに事実上の選挙戦が始まっている。

 今回行なわれる小笠原村議選の最大の争点は、低迷化している経済の活性化と観光振興に伴う島づくりだ。立候補予定者を対象にした本紙のアンケート調査でも、島内経済の活性化を争点に挙げた候補者が八割にのぼった。

 いま、国から市町村に至るまで、財政は空前の危機的状況に陥っている。この苦しい財政事情は、そう簡単には回復の見込みはないだろう。村の財政不足を補う国からの地方交付税や補助金も、従来のように『黙っていても支給してくれる』慣例は崩れていく。国や都に依存するだけでは、もはや市町村の行政運営は成り立たない。  

 住民の暮らしから、島の発展の青写真づくりまで、今までのように受け身で、村の基本構想は”絵に描いた餅”と言われるような、自己決定と実行を欠いた安易な姿勢ではもはや許されない。

 これまで議会は、執行部の取り組みへの問題追及が甘く、言い逃れと引いては税金の無駄使いを許す結果となってきている。選挙は住民にそれを問う好機である。

 いま、自治体が第一に取り組むべき仕事は、自治体(村)の厳しい財政状況を正確に掌握し、危機的状況にある財政の実状について、村長(首長)、議員(議会)、職員、そして住民がしっかり共有することから始めなくてはならない。深刻な財政状況を共有した上で、政策(支出)のどれを残し、何を縮小し、切るかを自ら選択しなければならないだろう。

  行政基盤の強化は、分権時代の自治体にとって避けて通れない課題だ。多くの議員が島の経済活性化を今回の選挙の争点に位置づけているのも、そうした認識によるものだろう。

 地域の発展にはどんな自治体が望ましいか。この村議選が改革へのステップとなるよう、立候補予定者はもとより有権者も、今から論議を深めるべきだ。

 小笠原村では、観光振興と島の自立への動きが最近、一段と広がってきている。行政機関による基本構想の見直しや今まで通り存続できる仕組みを考えるべきだとしている。が、医療・福祉や扇浦開発に関係する仕事を、たった一人の職員が担当しているケースが少なくない。これでは、複雑かつ多様な行政需要に対応しきれない。

 首長もどっちを向いて進むのかわからず、議会も執行部と緊張関係を保てないような自治体は、行政の監視もできず、いずれは住民にそのツケが回ってくる。

 村民と行政が観光立島として、一つの望ましい方向に向かって、共に学び知恵を出し合い討議を幾重にも積み重ねていく必要がある。村長や議員に、自覚と責任ある行動を求めたい。

 官民総意を目指す、情熱の喚起と意思の統一への道程は、時間の掛かる大変な作業かもしれない。しかし、それを避けては子々孫々に渡り、世界に誇れる小笠原を引き継ぐことはできないだろう。遅きに失する事のないよう、時と的を得た取り組みを望みたい。

 改選後には、強い目的意識を持った議員が多数を占めることを願う。形式主義の答弁調整を全廃し、真っ向から行政に論戦を挑んでほしい。

 「議員は政治意識(理念・哲学)と社会正義をしっかり持つべき」「品格があり信頼を集める人柄が必要」。これらは、村民有権者の叫びだ。立候補予定者は深くかみしめるべきだ。使命感を持って望んでもらいたい。


NEW! (2003.新年号)

  魅力ある観光振興 
    “活力溢れる島づくり”にスタート

 新年明けましておめでとうございます。本年も変わらず「小笠原新聞」をご支援下さいますようお願い申し上げます。

 小笠原村も、問題が山積したまま新しい年を迎え、昨年に引き続き、厳しい状況が目前に立ちはだかっている。

 今年は、小笠原諸島返還35周年とペリー提督が日本の開国を求めるため、小笠原諸島に来航してから150年目を迎える記念すべき年となる。

 この1月2日、全国に先立ち小笠原村で成人式が執り行われ、21人の若者が、晴れて成人の仲間入りをした。

 “成人の日とは何なのか”原点に立ち帰って考えることも必要だ。

 本来、成人の日は、社会の一員としての決意を、若者が新たにするためのものだ。試練の克服、それによる新しい自分の誕生という成人儀礼の本質が、見失われて久しい。

 この「成人の日」を小笠原村に置き換えてみると、小笠原村も返還後35年、村制が確立して25年がたった。いわば、とうに成人の年を迎え、大人社会の一員となっている。小笠原村も例えてみれば、社会の一員として立派な成人と見なしてもおかしくはない。

 宮澤村長は、かって就任直後の所信演説で“小笠原主義”というビジョンを掲げ、その定義に基づき事業を展開することを表明した。しかしながら、2期目の今、これまでの5年間を振り返って、村民がより豊かな生活を送るための村の行くべき方向性を見いだし、ビジョンを示してきただろうか。はっきり言って、答えは「NO!」だ。言い換えるなら、ビジョンのないまま、これまで5年間、目先に追われてきたといえるだろう。

 村長が主張する「村おこし」の柱として今もなお、続けて“小笠原主義”を掲げるならば、その根底に、先ずなくてはならないものは、21世紀の行くべき方向性を見定めた理念、哲学である。それは言い換えれば精神的コア(核)となるものといえる。

 その理念をコアに、農・漁業・観光、商工、そして教育、福祉、医療と現場を舞台にあらゆる事業がつながり回っていく。またつながって回っていくコアでなければならない。

 小笠原村としては、その理念をどこにおくかということが、とりもなおさず21世紀の村の方向を決定づけることになる。

 議会でも指摘されたように、村長のいうビジョンは、何とも抽象的で具体的イメージが描けない。村長は、村民に“明確なビジョン”を示し、各分野で機能するキーワードとするための、説明責任が求められる。

 実状を十分に把握し、具体的施策を示したなら、それに対して議論を積み重ねる努力も必要だ。

 また、「エコツーリズムを基点とした村づくりと、TSLの就航こそが観光振興の土壌づくりのカギを握る」と力説しているが、具体的に観光を振興させるには、まず“魅力ある島の受け皿づくり”も前提しなければならない。 

 TSLの就航計画も具体性を増し、1月15日には保有管理会社のテクノ・シー・ウエーズと小笠原海運との間でリース契約が結ばれることが決まった。17年春の小笠原就航も、これで本格的にスタートを切り、村も待ったなしの状況にたっている。

 4月27日には、統一地方選挙が行われ、小笠原村議選も控えている。

 いまこそ、村は真の成人として一人立ちできるようなビジョンと行動計画を一日も早く示し、村民の知恵と熱意の再結集を図りながら、全国に誇れる活力溢れる島づくりにスタートしたいものである。


NEW! (2002.12月号)

  村民の不信感募るばかり

     果たして自己改革できるのか


 本年も残すところわずかとなり、2002年が締めくくられようとしている。いま島内では、何処に行っても、小笠原村社会福祉協議会(社協)の不祥事の話題で持ちきりになっている

 本紙においても連続して社協問題を社説に取り上げるのは、創刊以来初めてのことである。それだけに今回の事件は、住民全体に直接関わることでもあり、とりわけ、高齢者の拠りどころとなる、福祉の名のもとで起きた事件であることから、何にも優先される重要な問題と受けとめているのだ。

 この不祥事が発覚してから、はや4ヶ月が経過した。が、社協はこの間、計4回の理事会と、2回の評議員会、そして両者合同の意見交換会を1回開いてきてはいる。なのに、何故社協は責任をキッチリ取って村民の納得できる対処ができないのか。

 それは、不祥事の当事者や社協会長を初め、一部を除いた理事らの認識が世間常識から大きくずれていること。それが責任回避としか取れない言動となり、問題解決をずるずると引きずってしまっているのだ。そして、事務改善などと、問題をすり替えてはいるものの、実は、改革とは名ばかり。 

 例えば「定款の見直し」についていえば、定款にも載っていなかった助葬事業を正式に載せたことで見直したとしたりしているが、実は何が不適当で、何が必要なのか、という基本的問題がなんら審議されていない。

 また、会計報告では、正職員の人件費を実際は2名のところを何年も4名分として、村に申請していたところを問題として審議もせず、非常勤職員を1名正職員に格上げして事足れりとしたり、監視チェックのためと称して、月2回、輪番で一人の理事が社協に行くことなど改革案を示してしてはいる。が、もともと、この不祥事の原因も正確に認識していない中で、こうした取り組みをしても改革は、期待できない。

 外向きの形だけで、取り組んでいるように見せているから、村民の不信感をさらに増幅させる結果となってしまっていることに気づいていない。

 中でも最大の要因は、会長自身と一部の理事達が、スタート時点から、A職員に同情する流れに組みしてしまっていることと、飛び火を恐れる役人たち同様に、当事者と会長ら一部役員たちが身の保身に汲々とし、一向に村民に目を向けていないからだ。

 福祉という重要性・公共性に照らして、地域社会に与える影響は重大だ。理念も哲学もない人達が単に「名誉職」としか捉えずに、「寄り合い所帯的」な感覚だから、無責任になり、信用を失墜させていることを肝に命じなければならない。

 「村民を愚ろうするな」との声をあちこちで聞く。名誉職や権力の魔性に犯されていない庶民感覚こそ、賢明であなどれないことを、今こそ知るべき時ではないのか。

 村内では、社協理事会がこの問題の責任をどう取り、改革していくのか衆目が集まっているが、これでは、責任を取るどころか社協自体の体質改善など望みようがない。

 十二月定例議会では、村議会史上初めて、傍聴者があふれた。いかに村民の注目が高かったか知ることができる。これまで不安を募らせいた村民らからは、3名の議員の的を得た責任追及に、傍聴席から、改革への期待の声も聞かれた。

 この問題は社協に端を発し、今、行政の指導監督責任も問われている。


NEW! (2002.11月号)

  放置出来ない“倫理観の欠如”


  社協の金銭事件の波紋は、当該職員の“職場復帰”と理事による事務改革の推進をすることで、一応の解決を見せたような形をとった。が、この問題はさらに小笠原村民の間に疑問と不安が広がり、なお、くすぶり続けている。

 村の福祉の拠点に起きたこの問題は、誰もが高齢を迎える人々にとって“明日はわが身”の最大の関心事であろう。それだけに、村民の眼は今や小笠原村社会福祉協議会という、ひとつの独立法人であり、職員の任免権を持つ会長の動向に注がれている。見識と同時に自浄作用を発揮させられるかどうかにかかっているだけに、会長初め幹部理事の責任感とリーダーシップが問われる。

 団塊の世代と言われるベビーラッシュの時代に生まれた人々が、高齢者の仲間入りをする時が目の前に来ている。全ての人が老いることに逆らうことは出来ない。いつか明日はわが身になってくる。

 離れて暮らす老親や、自分も一人暮らしになったり、たとえ痴呆になっても、人としての尊厳や人権は守られて生きて行きたいというのが、至極自然な、そして最も大切なことである。そのために法の整備も徐々に整えられてきている。

 「地域福祉権利擁護事業」という制度が平成11年10月から施行された。この事業は、痴呆性高齢者や、知的障害者、精神障害者など判断能力が不十分な人の権利擁護に資することを目的として、自立した地域生活が送れるよう、福祉サービスの利用援助を行うものだ。

 具体的には、通帳や土地の権利証、年金証書など大切な書類や、実印、銀行印などを預かってもらう「書類等の預かりサービス」や、公共料金や家賃の支払い、日常生活に必要な預金の払い戻し、預け入れ、解約の手続きなどの手伝いをする「日常的な金銭管理サービス」の他、福祉サービスを利用する際の手続や、利用料の支払い、ケアプラン作成時の助言などをする「福祉サービスの利用援助」が主な事業内容となっている。

 今回、社協で起こった一連の“金銭トラブル事件”で、「地域福祉権利擁護事業」が、都社協から委託を受けていない、A職員が無許可でしかも独断で、高齢者から金銭を預かっていたことが明らかになった。

 この事業を利用するには、都社協の専門委員が島に赴き、調査の上、利用者本人と直接契約を結ばなければならない。

 にも関わらず、この名称を使って、記名捺印をしてこの行為をしていたことは問題だ。

 これは明らかに、あってはならないことで、社協全体の責任が問われる重大なことだ。

 社協理事会は、経理規定に三項目が抵触するとしてしかるべき措置(自宅待機・一般職への降格)を取ったとしている。

 しかし、この事件の背景の「地域福祉権利擁護事業」の行為を、契約の事実もなく、専門員の資格もないまま行なっていたところに、重大な問題があることには、触れられてはいない。

 また、自宅待機や職場復帰処分を決めるに際しても、慎重かつ十分な話し合いもなされず、会長一任で、ことを進めてしまう手法は、非難されても仕方がない。

 評議員や理事の一部には、百万円位問題じゃないと言う人がいたというが、まさに倫理観の欠如と言わざるを得ない。

 当たり前のことだが、善悪のけじめをつけ、きちんと責任を取る地域社会にすべきだ。


 NEW! (2002.10月号)

  小笠原社協

   厳正な対処で信頼回復を図れ


 小さな島に仰天するような事件が発覚した。人々の善意をバックボーンとする福祉の拠点、村社会福祉協議会で、職員トップによる金銭トラブル事件が起きた。一人暮らしの高齢者が亡くなった後、遺族から葬儀費用分と香典を預かったA職員は、半年後来島した遺族から費用の精算を求められた。

 その時、総計から百万円を抜いた精算を示したことから、その金の行方と辻つまの合わない説明に対して、次第に疑惑が生じた遺族が小笠原警察署に被害届を出すに至った。当局では詐欺の疑いがあるとして事件の捜査を続行中だが、なるべく早期に結論を出したいとしている。

 また、社協では理事会対応として当面自宅待機を命じている。年間4千万余の補助金を出している村もこの事件を重く受けとめ、議会と協議の上、社協に事務改善と綱紀粛正を求めている。

 福祉という美名のもとに、これまでも全国で福祉を食い物にした事件は枚挙にいとまがないが、今回の小笠原で起きた事件も、そのような古典的な犯罪に類するものであってほしくない。

 しかし、事が明るみになって金を返したからいいという問題ではない。司法当局側の出す結果いかんだけで判断を下せる問題でもない。結局、福祉に携わる者への信頼を大きく失墜させた罪は、極めて大きい。

 こういうことを起こす余地が一体どこにあったのだろうか。一つめに、その個人の資質の問題である。公共に資する職業者に求められる資質とは、金銭を含めて公私の区別を厳格につけられることだ。そして私情を挟まず公平であること。使命感を持ってその職責に専念できるということだ。しかし、そういった感覚が元から希薄な者か、長年携わる内に次第にその感覚が麻痺してしまった者かが、前記のような事件を起こしたのではないのか。だとするとそのような資質の者をなぜトップにまでさせたのか。それを許す土壌はなかったのかが次に問われてくる。

 いわゆる二つ目の原因として、以前からチェック機能がゼロに等しかったのではないかということだ。監査しかり、会長を初めとする理事、評議員しかりである。小笠原村、議会も含め行政的指導監督責任も問われる。

 三つ目に、トップのやりたい放題を許すような、権限が一人に集中していることも問題だ。これらは、今世間を騒がせている日本ハムや東電の組織構図にまるで似ているのではないかと思われる。

 また、その地域の市民が自分さえそこそこ食えればよいと、まるでぬるま湯に浸かっているような状態でいるところは問題意識も薄く、まして小笠原は絶海の孤島であるだけに、本土並みの世間にうとく、役人にとっては御しやすい。官も民も自分の保身が先で、善悪より、丸く収めることに躍起になってしまうのが現実のようだ。

 また、役人の一部には隠蔽工作を社協ぐるみで取り組む根回しの対応策づくりに、いかにも役人らしい知恵を貸している者もいる。言語道断だ。

 今、重要なのは、高齢社会に向かって福祉の充実を迫られている村にとって社協の建て直しは緊急の課題だ。社協は今回の事件を枝葉の問題で対処するのではなく、根本的に体質改善を図るべく、厳正な処分をすべきである。そして資質も含めて、今後の小笠原の福祉の中核となる社協の活動を進められる能力を持った者の後任人事を急がなければならない。

 理事達が自分たちの責任問題を考えるのはそれからのことである。


 (2002.8.10)

 明確なビジョンと具体的取り組みを示せ


 来年は、小笠原諸島が返還されて35周年を迎える。この間、小笠原村は時代の流れと共に、様々な社会変革を経験してきた。返還35年への道のりは、歴史的にもひとつの区切りでもある。小笠原とは何なのか。村民が一丸となって、もう一度検証する必要が求められる。

 昨年11月には、村民の“悲願”であった「小笠原空港建設」も白紙撤回され、「航空路開設」への道は当分は遠のいたといえよう。3年後には、テクノスーパーライナー(TSL)の小笠原就航が実現する。宮澤昭一村長は、TSL就航を機にエコツーリズムを中心とした“島づくり”のビジョンを掲げ、数々の政策を提唱しているが、今一つ具体性に欠けさっぱり見えてこない。

 掛け声をかけるだけなら、誰でもできる。問題は、目標に向け、計画的にどう積み上げして実行していくかである。現在、村には人口2千4百人の島民が生活しているが、高齢者福祉対策、そして、農業・漁業、観光の基幹産業の振興と充実など、多くの課題が山積している。が、間近に控えたTSL就航に伴う、“受け皿づくり”の展開さえその姿がはっきりしない。

 昭和43年の返還時には、小笠原村の生活インフラ整備は、ほとんどゼロに近かった。この34年間で、上下水道、道路、港湾、住宅といったインフラ整備がそこそこに行き渡ったのは、当たり前のことだ。日本経済は成長を遂げ、とくに復帰後の小笠原は国や東京都から一千数百億円余の手厚い補助、助成を受けてきたからだ。

 村にとって必要なことは、そうしたインフラ整備を足場にして、島おこしにつながる活性化策が着実に実行に移せたかどうかである。答えは“ノー”だ。活性化策の柱が観光立島だが、目標に向けて、どこまで政策が実現したというのだろうか。

 もともと「村おこし」は、思いつきや抽象的議論だけでは、とても実現しえない。緻密な計画のもとに、一つ一つの部品を組み立てるように構築していくものだ。そして、イメージと現実が一致する観光の「顏」を、しっかりと築き上げていくことも不可欠の条件である。

 ガラパゴス諸島にしても、保養地として人気のある世界の島々にしても、決して一朝一夕にできたものではなく、長い年月をかけ計画的に積み上げ、長い年月の中から観光立島の「顏」を築き上げた点を見落としてはならない。

 村の観光政策に、そうした緻密な計画性と戦略、さらに言うと、明確なビジョンがあったのだろうか。

 前回の返還三十周年記念事業でも、思いつきの“人寄せ”のイベントが目立ち、その場限りで終わってしまうものが目立った。一億数万円もの、貴重な税金が今後の村づくりに生かされなかったことは残念だった。

 このように、島おこしや将来の観光振興を促すものが少なかったのは、小笠原の村づくりに、しっかりしたビジョンが不足していたために違いない。

 三年前、村は平和都市宣言をしたが、戦争の辛い歴史を後世に生かすためには、「平和の島」をアピールする具体的施策が望まれる。例として、戦跡ルートを整備し、平和を学ぶ生きた学習コースは、来島者に多くのことを伝えるだろう。さらに恵まれた自然の中で暮らす我々が、自然と共生していくことはどういうことなのか、来島者が目で見て、体感してわかるような取組みを考えなくてはならない。

 これからの村づくりのビジョンを考えるとき、根底には明確な“理念”が無くてはならない。それには、小笠原の歴史をしっかりと基盤に据えた上で、独自の文化の再構築を図ることが、最も大切であろう。


NEW! (2002.4.24)

 ◇社説4月号(1)

  新生組織で政策ビジョンを

 宮澤昭一村長が、行政改革の一環としての、いわゆる、「村役場の組織改編の方針」を公表した。これまで打ち出された一連の改革案も踏まえ、かねてからの懸案を、自らまとめたものだ。

 特別法の延長、航空路の開設、新集落の整備等諸課題解決のために、企画部門の独立強化を図るとともに、地方財政改革に的確に対処し、収支を包括的に管理するためとして、企画財政課を「企画課」と「財政課」の2課に分割した。

 その他、目立ったことは、産業観光課の業務に専門性を持たせるために、企業係と産業観光係に分掌化したこと等がある。

 村長は、2期目を迎えたこの4月、自らの政策方針を実現すべく、思い切った改編に踏み切ったようだ。

 そうは言っても、3月の14年度予算審議の中で、宮澤村政の目玉とも言える重要な三つもの新政策予算が、否定された。

 このことは執行部も含め、宮澤村政そのものが否定されたに等しいほどの、ゆゆしき問題と言えよう。特に新産業計画に於いては、計画内容そのものが、担当部署で消化し切れていないばかりか、庁内においてすら意見の集約ができていない。その案件を、そのまま議会に上程するなど言語同断。稚拙とまで批判されても仕方がないだろう。

 根本的な問題として、繰り返し言わせてもらえば、明確な「村づくりのビジョン」が未だ曖昧模糊としていることだ。コンサルに付け焼き刃で期限に間に合わせてもらっても、庁内は元より、議会や村民との合意が図られていない事業が、村全体の取り組みとして理解され、浸透するはずがない。村長独りの情熱だけで、展望も合意もない疾走は、暴走でしかない。

 新組織がスタートして一ヶ月。今後、小笠原村の難局を乗り越える政策を示せるか、見守りたい。


◇社説4月号(2)

  硫黄島・基地問題から目をそらすな


  現在、取り組みが求められる大きな課題として、硫黄島のNLP問題がある。村は「暫定使用」のまま曖昧な態度を続けている。今求められているのは、“暫定”という解釈を明確に示すことだ。

 これまで村長は、暫定使用問題を、遺骨収集問題と混同して、硫黄島使用拒否を示してきた。

 在日米軍は91年に完成した硫黄島のNLP施設を使用して訓練の頻度を高め、今年に入り3月の一週間だけで、延べ1029回も行っている。その一方で、三沢や厚木、横田など国内の基地で分散実施しており、この先もNLPが減るとは思えない。

日米防衛協力のためのガイドライン関連法案にうたう「周辺事態」になれば、これまでの軍事協力が大きく変質し、硫黄島基地は米軍のより広範な「世界戦略」に組み込まれる可能性が強い。

 米軍への協力を最優先し、そのために受ける村民の痛みに対して、何一つ手を打とうとしない国や、消極的な小笠原村の姿勢にも問題がある。犠牲を強いられる島民。とりわけ未だに帰島も許されない硫黄島旧島民や、本土防衛の楯となって尊い命を亡くした軍属や旧日本軍将兵と戦没者遺族の苦悩は深まるばかりだ。

 硫黄島・基地問題は、観光や経済、環境の議論に隠れて、関係議員の他にはこれまで余り論じられず、表面化もされずにきたきらいはあった。が、本来は、小笠原村にとって国の政策にも直結する重要な問題であることを再認識する必要がある。


2002年新年号(2001.1.3)

     ◆緊張感ある責任政治体制を作れ◆


 二〇〇一年最後の小笠原村議会が閉幕し、政局の焦点は、航空路の実現への可能性を探るための空港建設問題に移った。

 今回の議会の最も注目すべき眼目は、今年早々にもスタートさせるという、航空路開設までの実効をあげる村の態勢の再構築だ。村長、村議会は年初からにも、小笠原村独自の検討を開始し、これに基づいて推進組織を発足させたいと行政、議会で、意見の一致をみた。

 この点で、政局の節目ごとに、半ば定例のように行われていた、これまでの空港問題とは異なる大きな意義を持つ。

 もちろん、景気の回復がなお定かではない中で、当面の自立へ向けた観光振興を初め、エコツーリズムの確立、IT(情報技術)戦略の具体的な展開等の村政課題への取り組み、職員人事なども差し迫った課題となっている。

 当然、宮澤昭一村長は、こうした点を十分に認識し、それぞれの課題処理にふさわしい人材を適材適所で配置し、万全の態勢を作らなければならない。

 いま必要なのは、小笠原村や島の将来という観点に立って、情熱ある有能な人材を起 用することだ。

 その上で、宮澤村長が小笠原村の将来像を明示し、そのための政策課題を遂行する組織の再構築に、リーダーシップを発揮しなければならない。

 先の、都の「時雨山案撤回」の公式発表のあとで、水面下で宮澤村長への辞任、村議員の総辞職の議論が出た。その直後に、空特委員長の宮川晋氏は、「辞職することで、問題が解決するわけではない」とクギを刺し、この機に、議会も含めて起死回生を図るべく、なお一層の努力を求めた。

 小笠原村に求められることは、それぞれの機能を統括して強化し、社会情勢の変化に十分対応でき得る体制と、行政システムを官主導から政治主導に転換して、必要な政策を迅速果断に展開することだ。

 そのためには、宮澤村政は強い責任感と実行力を持って、自立に向けた政策展開を図ることが求められる。 

 空港問題にしても、時雨山空港建設案の白紙撤回で、小笠原村は、事実上、空港開設の道は絶たれたとも言える。しかし、道はなくなったとも言い切れない。

 再び、空港開設の道へ繋げるためには、小笠原村自体が、今後の社会情勢、地球的環境問題を先取りした村づくりを核にして、自治体(村)の意識と行動様式を転換し、それに添った航空路開設への、グラウンドデザインをしっかりと作り上げることだろう。

 高齢化社会へ対応できる福祉的観光の受け皿づくりと、自然環境と人の生活とが共存できる村づくりをすることだ。例えば、島内のガソリン車を廃止し、エコ・カーの購入には補助を付ける。電力は太陽熱や風力の新エネルギー。

 こんな最先端をいく環境保全の取り組みと、福祉的観光がマッチした魅力ある島づくりに徹することだ。そうすれば、都民や全国民も注目し、納得するに違いない。TSLも航空路も見据えた政策展開を図るため、官民合わせて動き出さなくてはならない。


NEW!12月号(2001.12.10

 航空路開設 

   村民の願い熱意の継続を望む


  小笠原島民にとって“悲願”とされていた、小笠原空港建設の着工が白紙撤回された。

 小笠原空港は、平成3年(1991年)末、第6次空港整備5ヶ年計画を閣議決定した時点で「予定事業」として組み入られ、開港に向けて「需要の確保など課題条件」を満たしたうえで 着工する運びだった。

 繰り返すようだが、計画では21世紀はじめ、つまり、平成12年には空港は開設する予定だった。東京都の説明も当時は、そう島民に説明していた。

 振り返ってみると、十三年前の昭和63年6月26日、当時の鈴木俊一都 知事は、小笠原返還二十周年記念式典に招かれた父島で記者会見し、兄島の北五百メートルに浮かぶ無人島・兄島が空港の最有力候補地だと語った。

 村民は、この決定に沸きに沸き、「これで島に空港ができる。医療も産業も生活も安定する」と、手放しの喜びようだった。事実、東京都も地元に対して「関門はまだ残るが実現に向けて最大限努力する」としていた。

 しかし、月日が経つに連れ、兄島空港建設予定地が自然公園法で、普通地域に指定されてはいたものの、同島は 旧環境庁や自然保護団体などの反対で計画が棚上げされ、再び建設予定地を父島など9ヶ所をピックアップするなど、二転三転の末、最終的に父島の時雨山周辺域を空港予定地に決めた。

 当然、島民は今度こそは空港開設の実現は間違いないと受け止めていた。が、この時雨山案の決定は、村民の期待とは裏腹に、みごとに石原都知事の一言で覆った。

 このため、宮澤昭一村長は声明で、「時雨山白紙撤回という決定は、返還当時から空港建設を村民に約束し、33年もの間、調査・検討を行いながら結論が白紙撤回では、村民を軽んじたものだ」と都の責任を問うている。また、「高速船で海路の改善は行われる。しかし、毎日の足となりうる空路は、TSLによって代替されるものではない」と、空路確保への都の責任回避とも取れる発表に抗議している。

 とは言っても、小笠原村や村議会、空港建設を促進してきた各団体など、村内のリーダーシップをとってきた側にも責任はある。これまで“あなたまかせ”にしてはいなかっただろうか。本紙では、当初から繰り返し「島の自立と受け皿づくりのグランドデザインを早急に描き、島内のコンセンサスを図れ」と主張してきた。

 空港建設は、超遠隔離島の島民にとって、その実現がなくては地域の発展や民生の安定に希望が持てないという最大の課題なのである。その意味でも、空港を実現するには、今こそ、地域の合意を再構築し直すとともに、自分たちのの村づくりを、今こそ真剣に議論し、自立に向かって確実な一歩一歩を進めることだ。

 その地道な汗を流しながら、大局的見地を見失うことなく、官・民一体となって空港建設の希望の明かりに向かっていくよう、熱意の持続を期待したい。


11月号(2001.11.5) 

  空港建設候補地「時雨山案」白紙撤回

     小笠原航空路」の必要性まで消すな


 石原都知事は、小笠原空港問題について記者会見で「空港建設はできない。高速船・テクノスーパーライナー(TSL)が就航すれば十分だ」として、小笠原村民“悲願”の空港建設を事実上「白紙」に戻す姿勢を示した。村民は、強い衝撃を受けている。

 知事発言は、いったい、どういうことなのか。小笠原空港建設は、すでに10年前の一九九一年の第6次空港整備計画で「予定事業」に採択され、「新規事業」への格上げは先送りされているものの、第7次空港整備計画の「予定事業」にも引き継がれている。

 しかも、歴代旧運輸大臣はいずれも「空港は必要」と言明しており、担当部局も「空港建設に努力したい」と積極姿勢を示してきた。それが石原都知事になって、昨年6月、来島の際の会見で、いきなり「時雨山案(建設候補地)はダメだ。一つの案がある。まとまったら、明らかにする」と発言した。そして、今回の事実上の白紙撤回発言である。

 知事の発言の流れを見ると、昨年9月の時点ですでに知事は、小笠原空港建設に否定的だったことが分かる。それを、都が検討を重ねている小笠原自然環境保全対策検討委員会が、10月の「空港を建設すれば、自然の保護は困難」との報告をとらえ、知事流の直線的手法で決断を下す発言となったと見られる。

 強い指導力とリーダーシップが「売り物」の石原知事の行政能力は支持したい。が、空港へ向け一歩一歩積み重ね方式で議論、検討を積み重ねてきたのに、公式審議もないまま、いきなりトップダウン方式で決断同然の白紙撤回発言が飛び出したことに疑問を感じるのである。納得のいく審議のない結論は、手続上からみても、疑問がないわけではない。しかも、知事は、建設の可能性についてまで、きっぱり否定しているのだ。

 空港建設の大きな壁となったのは、小笠原にしかない希少動・植物など自然環境の保護・保全と都や国の厳しい財政状況である。自然環境の保護・保全については、小笠原自然環境保全対策検討委が審議したが、環境派識者や植物学者中心の委員会なら、「自然重視、開発反対」の結論がでるのは当然である。

 小笠原振興(村おこし)を主題とした委員会の存在が軽視されたきらいがあったが、小笠原自然検討委とは対極にあるそうした委員会等に検討を委託したら、反対の報告が出たに違いない。

 長期不況の中で、都や国の財政状況がピンチに追い込まれているのは理解できる。空前の財源難が足かせとなっていることも理解できる。

 そうであれば、2004年(平成16年)就航予定とされる高速船TSLの導入も、「やむを得ない」と受け止めるしかないのかもしれない。但し、高速船TSLの就航は、あくまでの「つなぎの措置」であることを強調しておきたい。

 小笠原の航空路の必要性まで否定されたのでは、「小笠原そのものの否定」というほかない。


2001年10月号

  村の活性化は「自立意識」の確立から


  「東洋のガラパゴスとも呼ばれている小笠原は、自然保護と観光を上手く両立することができれば、他には無い魅力を発揮することができる」として、「小笠原へは観光の振興と島民の生活の安定を図るため、新しい足としてTSLの就航を実現させたい」と石原都知事が、先月19日、都議会で考えを明らかにした。

 本土から南へ一千・離れた太平洋の孤島ともいえる小笠原村にとって、交通アクセスの改善は、長年にわたり島民の・悲願・であった。小笠原空港建設が、事実上、棚上げ状態になり宙に浮いたままの中で、TSLの小笠原航路実現の動きは、小笠原村の発展、活性化には不可欠の条件でもある。正に朗報といえよう。

 国土交通省は、計画通りにいけば、2004年(平成16年)7月には就航が実現するとしているが、これはあくまで・計画・であって、決定ではない。決定するまでには「管理保有会社」の設立や、運航会社への赤字補填の、国と東京都の負担割合の調整 など、数々の障壁があり、決定するまでには、まだまだ前途は多難のようだ。

 しかし、何よりも重要なのは、受け入れ側である小笠原村の対応だ。9月議会定例会での一般質問で「経済活性化について」と題して、宮澤昭一村長に対し、産業振興から始まり自立発展、TSL就航後の“受け皿づくり”と、これまでの解決すべき村政課題への村長の現状認識や、具体的取り組みを質していた。

 にもかかわらず、答弁は、自身が掲げた「公共事業から民活へ」についての政策にしても、「経済の停滞」に対する認識も、およそ、質問内容から遊離し、政策ビジョンもスローガンを掲げているに過ぎなかった。小笠原村の景気の低迷についての理解度は、単に内地が不況なるが故の現象であるかのような答弁に終始していた。村長の思いや考えは分らないでもないが、政治行政は経済と同じく、“生き物”である。実行可能な施策を、「今すぐやるもの」「これからやらなければならないもの」として、優先順位を明確にして取り組んでほしい。

 もちろん、村民生活の安定を基本に、村民が夢を持ち、豊かで安心して生活を営むことができる“村づくり”を視野に入れての“受け皿づくり”でなくてはならない。

 2004年にはTSLが就航し、来島者が現在の2万人から5万人へと確実に増えることの現実を見据え、今、緊急に求められているのは総合的「地域づくり」と、具体的な“受け皿づくり”だ。

 それには、自身が掲げた政策である「エコツーリズム」を主題とした観光立島の促進と、「産業振興」への施策を、より具体的に村民の前に示し、理解と協力を求めることが望まれる。

 小笠原の豊かな自然資源を生かしながら、村をどう活性化し、島おこしに立ち上がるか。村も島民も、まず自らの力で立ち上がろうという「自立意識」を持つことが必要だ。そして、島民ぐるみで、島おこしの対話、議論を重ねることだ。

 この指導性を発揮しなくてはならないのは、村長を初め、村議会と村当局である。村の政治と行政が、今こそ島民に向けて島おこしの問題提起をするときである。 


(8月号)

  観光立島・産業振興の着実な進展を望む


 小笠原空港建設は一体どうしたのだろう。最近の島内では、空港開設の話しはほとんど聞かない。代わりに、目下の話題は2004年に就航予定とされている、超高速船テクノスーパーライナー(TSL)の話題がもっぱらだ。昨年夏以来、小笠原村は、交通アクセスの改善の一環として、2004年に就航が予定されている、TSLの小笠原航路実現に思いを託しているようだが、島民には、その後の進捗状況や、情報がさっぱり伝わっていない。

 その一方で、空港問題は影を潜めているが、航空路開設は、小笠原島民にとっては悲願であり、総意であると、小笠原村は島内の合意形成を図ってきた。

 振り返ってみれば、小笠原空港開設は、都営空港として東京都が計画したもので、平成2年、国(旧運輸省)の弟6次空港整備計画に、「予定事業」として採択され、予定通り計画が進めば、平成12年頃には開港の予定であった。

 当初の空港建設予定地は、自然公園法で特別保護地区などに指定されている兄島だったが、同島は 旧環境庁や自然保護団体などの反対で計画が棚上げされ、再び建設予定地を父島など9ヶ所をピックアップするなど、二転三転の末、最終的に父島の時雨山周辺域を空港予定地に決めた。当然、島民は今度こそは空港開設の実現は間違いないと受け止めていた。

 が、石原慎太郎都知事の反対により事実上、白紙に戻されることになった。それにも関わらず、現在、都は父島の時雨山周辺域を建設が可能かどうか、再び調査・検討するとして、来年度予算にも計上され、継続して調査がされるようだ。

 問題は、引き続いて都が本気で空港建設に向けて取り組むかどうかである。環境問題にしても、学者グループや自然保護団体などが何回か環境調査をしているが、どういう条件なら自然生態系への影響を最小限にとどめられるのか。その許容範囲は、といった点までは、精緻に調査検討はされていない。 

 そうした中、宮澤村長は「TSLの就航はあくまで、空港開設までのつなぎだ」としているが、航空路開設問題は、安藤光一前村長からの“総意”であり、小笠原村の基本路線として位置づけられている事を忘れてはならない。その総意を実現することが、これまで理解と協力を惜しまなかった村民への答えでもあり、責任を果たすことに繋がる。

 村長も、決して空港開設を忘れてはいないだろうが、就任以来、空港問題について、村民と対話の機会を持ったり、具体的な考えを示すといった、きめ細かい行動が希薄のようだ。こうした地道な行動を積み重ねることが、村民の志気を高揚させ、力を集結できることを忘れてはならない。

 国や都議会を初め石原都知事も、小笠原空港の必要性は認めているのである。

 財政・環境問題、受け皿づくりなど、クリアすべき課題に向かって、着々と努力を続けるべきであろう。

 村議会に特別委員会があるが、最近真剣な議論が見られない。住民には、受け皿づくりとしての、村のビジョンもいまだに見えてこない。返還から33年。甘えから脱皮し、自立に向けて自分達の頭で村の将来を考えなければ、21世紀は生き残れないだろう。


NEW!(2001.7月号)

“全島が墓碑の島”硫黄島を「平和発信」の島に


 戦後56年、小笠原村は本土復帰33年を迎えた。 

 村主催の「硫黄島慰霊の旅」を終えた翌日の、6月23日、小泉純一郎総理は、沖縄県の戦没者慰霊式典の挨拶の中で、「先の大戦で、本土で唯一の戦場となり多くの犠牲を強いられた沖縄県に対して、沖縄の振興のため、県民の意見を聞きながら国の責任として、最大限の努力をする」と力強く述べ、国の持つ責任は大きいとの考えを示した。

 確かに、県民は多くの犠牲を強いられ、辛苦を舐めた。沖縄の振興に対して、国の責任を果たすことには、誠にその通りで異論はない。ただ、小泉総理の歴史認識の中で、「本土で唯一の戦場となった沖縄県--」としているが、正確に言えば、日本国内において、真っ先に地上戦となったのは硫黄島(小笠原村)なのである。

 こだわるつもりはないが、平成三年、硫黄島協会の和智会長が亡くなり、同協会の立て直しの際、小泉総理が衆議院議員の時、中山正暉議員と、実兄が硫黄島で玉砕したという元総理夫人の三木睦子さんらと共に、同協会顧問となって役員に名を連ねていることから、この歴史的事実を認識されているはずだ。

 小笠原村も沖縄県と同じ悲劇の歴史があることを、いま新たに直視し、小泉総理を初め、政府も小笠原に対して、国の責任を真剣に考え、具体的な対策を取ってほしい。 

 硫黄島は、戦後56年経った今でも、硫黄島旧島民は国内でありながら我が故郷にも帰れず、戦没者遺族は、肉親の遺骨収集も道半ばで、悲涙に暮れている。先の大戦で本土防衛のため真っ先に戦場となったこの島は、日米合わせて2万7千人もの戦死者を出し、その内、未だ一万一千余柱の日本軍将兵の遺骨が、未収集のまま残され放置されている。政府は、遺骨収集問題を含め、戦後処理問題の一日も早い解決を、改めて考えていく必要がある。 

 今回の墓参で、硫黄島旧島民や戦没者遺族の人たちから「私たちは、すでに高齢化して墓参も、年々ままならず、亡くなる人も多い」「 戦前住み慣れた住居も跡形もなく荒れ果て、その所在を探し当てることさえ、困難をきわめている。せめて、地名版の設置でもしてほしい」などの声を聞いた。 

 また、「重機と人手があればもっとはかどるのに---。」と高齢にむち打って遺骨収集作業をしていた旧島民の1人が、絞り出すように胸の内を訴えていた。

 地熱が50度を超す酸欠の地底で、陽の目を見たがっている一万一千余柱の遺骨を、早急に収集し、硫黄島の戦後処理に結末を付けなければ、国自体の“戦後”は終わらない。 

もっと大規模な収集作業に着手する事を望みたい。

 もう一つは、戦没者と遺族の苦悩に報いるためにも、一日も早く戦後に区切りを付け、恒久平和を願い、未来に平和を発信するためにも、沖縄のように、戦争犠牲者全員の記名碑を建立する事を願いたい。涼風が吹き、故郷に続く海の見える場所に・。 

 私たちは、今の平和と繁栄が多くの人々の命の犠牲の上に成り立っていることを、もう一度確認し合いたい。『他人の犠牲の上に自分の幸福を築くな』という言葉もある。

 戦闘機の滑走路下に、戦争で犠牲になった者を残したまま、「平和のため」の議論はできない。

 悲しみの硫黄島の海はいよいよ青く深い。将来ここを「世界の平和の発信地」としていくことを多くの人に訴えたい。 


(2001.月号)6月号社説

   地域再生のカギは“官民一体の村づくり”に


 小笠原村長選挙が終わった。現職の宮澤昭一村長が834票を獲得して再選された。今回の村長選は告知日直前まで現職に対抗する候補者が現れず、無投票となる可能性があっただけに、新人の石井孝氏が名乗りを上げたことで、かろうじて選挙になることができた。4年に一度巡ってくる選挙は、有権者にとって村の政治を見直す好機である。幸い、村民の権利が行使できたことは喜ばしい。

 今回の選挙は村にとって21世紀初頭の進路を決める、重要な意味を持つものだった。地方分権法が施行され、今年で3年目を迎える。村の行政の裁量権は大幅に増えた。小笠原村自らの自主的な行政が問われることであり、力量にふさわしい実績を発揮することができるのかどうか。再選された宮澤昭一村長に期待したい。

 今回、宮澤氏は公約として、・、小笠原の産業基盤を公共事業依存型から、農、漁、観光の充実と新産業の創出に転換を図る。・、村民が安心して暮らし、来島者も保養や療養に訪れる島づくり(福祉、医療の充実と人材の育成)。・、超高速船TSLの導入を早期に実現する。の三つを掲げた。

 宮澤氏は「中でも停滞する経済への対策が、今の小笠原村の重要課題。当面は、優先的に経済の活性化に全力を挙げたい」と述べ、「そのためには交通アクセスの改善が不可欠で、先ずTSL導入を早急にまとめ、3年後の就航までの受け入れ準備に全力を尽くす」と当選直後、決意を述べている。

 小笠原村は、昭和43年に米国から返還されて、今年で33周年を迎える。これまで、復興を合い言葉に、インフラ整備が特別振興措置法の枠組みの中で急ピッチで行われてきた。現在、人口2千400人の島民が生活しているが、村には空港建設問題、高齢者福祉対策、農業・漁業、観光の三本柱の基幹産業の振興と充実など、今だに多くの課題が山積している。

 「経済の活性化」は、全国自治体の共通のキーワードになっているが、重要なことは「言葉より内容、実行」だ。それには、何よりも村長が理念と政策ビジョンを村民に示さなければならない。その上で、具体的な施策の手を一つ一つ打っていけるかどうかである。

 二期目はそこが試される時だ。村民もその点を期待しているだけに、全力で取り組んでほしい。

 これまでの、村では政策論議を戦わせる機会もなかった。市民参加、福祉の充実、自然環境との共生と耳障りの良いスローガンを掲げても、それを具現化させるための仕組みづくりがなかった。住民の目をいかに地域と行政に向けさせ、参画させるかが重要だ。

 地方の時代といわれて久しいが、地域の「担い手」であり、「住民が主役」であるという感覚が、小笠原村は官民共に薄い。

 「行政」主導の時代は終わり、官民一体の村づくりにこそ、地域再生の道筋がある。

 宮澤新村長の手腕を期待したい。


(2001.5月号)

 地域社会に責任を持って応える土壌づくりを


 村長選挙まで、あと1ヶ月を切った。21世紀最初の村の方向性が決まる重要な選挙だけに、対立候補が出て政策を競い合う論戦を繰り広げて欲しいところだが、29日の告示日までに果たして新人候補が名乗りを挙げるのか、このまま無選挙となってしまうのか行方が注目される。

 小笠原村の医療、福祉、教育や産業、経済も含め、村づくりの在り方に対して、有権者は何を求めるのか。その意思表示を下す絶好の時がこの選挙である。

 「誰が村長をやっても所詮、特別振興措置法に甘えている限り何も変わらない」と、あきらめている有権者も多いが、現状の政治から目をそらすだけでは「住民のための政治」を作り上げていくことはいつになってもできない。こうした風潮から、小笠原は一日も早く脱皮しなければならない。

 返還後、小笠原で新しく住民になった人口(いわゆる新島民)の割合が今や6割とも7割ともいわれている。さらにその子ども達が成人し、村の将来の一担い手として村づくりの陣列に加わり始まっている。行政が生み出した差別用語ともなった「新島民」、最近では、「新々島民」といわれるこの人々は、狭い地域にありがちな人間関係の難しさから、なかなか声を挙げようとしないが、それを政治的無関心、無責任と決めつけるのは、やや拙速すぎるようだ。

 行政は島民や、特に、若者が本来持っている、よりよい社会を求める「変革への意識」、「不正や腐敗を嫌う正義感」などの社会改革への思いに対して、責任を持って応える土壌づくりをしなければならない。

 いつまでも一部の者が既得権を振りかざし、身内の利益確保や勢力扶殖のみに汲汲とし、全体観に立てずに島国根性で足を引っぱり合っている社会では、意欲や能力を持つ青年層に背を向けられてしまう。若者が夢や希望を持てない地域はやがて亡びてしまう。

 現村長はこの三月議会で表明した所信のなかで、村の産業振興策として「精塩事業」と、ひいては「海洋深層水による養殖事業」を村が主体となって手がけたいとしている。すでに本土の各地で取り組み始まった「海塩」や「海洋深層水」の事業だが、村長は「小笠原ブランド」として、差をつけたいという。

 村長に再選されれば具体的に進めたいとするこの事業に水を差すつもりはない。が、事業の形として第三セクター(以下・三セク)も視野にあるようだが、 企業誘致にしろ、三セクにしろ、成功事例も全国の失敗事例も精査の上、せめて30年先まで読んで、住民とのコンセンサス(合意)を図って、成功させる自信があるなら取り組んで欲しい。ラムリキュールの三セクの轍を踏まぬよう、失敗した時の責任の取り方まで明確にして取り組むよう求めたい。

 目前には団塊の世代が高齢者の仲間入りをする時期が待ち構えている。「学びたい」「楽しみたい」「地域に役に立ちたい」という意識が顕著な層だと分析されている。時代の先を読み、小笠原島民のためにもなる「(仮称)福祉型リゾート構想」も視野に入れて、自然と人がゆったりと調和する安心の街づくりを時間をかけて創っていったらどうだろうか。

 行政は民間活力を支援する役目に徹して、優秀な起業家を誘致、育成していくコンセプトに組み立て直すことが必要だ。住民と行政が共通意識を持って、村づくりに主体的に取り組むための支援の仕組みや政策が、今こそ求められる。 


(2001年4月号)

  次世代に責任を持った“村づくり”を目指せ


 今議会で宮澤村長は、新たに“小笠原主義”というビジョンを掲げ、その定義に基づき事業を展開することを表明した。説明によると“小笠原主義”の定義とは「小笠原しかできないこと、小笠原だからできること」だという。

 加えて村長は、この一期4年間を振り返って「村民がより豊かな生活を送るための村の行くべき方向性を考えるほどに、出口の見えないトンネルの中を歩いている感覚だった」と述べているが、言い換えるなら、ビジョンのないまま、4年間、目先に追われてきたと言えるだろう。

 村長が主張する「村おこし」の柱として“小笠原主義”を掲げるならば、その根底に、先ずなくてはならないものは、21世紀の行くべき方向性を見定めた理念、哲学である。それは言い換えれば精神的コア(核)となるものといえる。 

 その理念をコアに、農・漁業・観光、商工、そして教育、福祉、医療と現場を舞台にあらゆる事業がつながり回っていく。またつながって回っていくコアでなければならない。小笠原村としては、その理念をどこにおくかということが、とりもなおさず21世紀の村の方向を決定づけることになる。

 しかし、“小笠原主義”と一口にいっても、議会でも指摘されたように、何とも抽象的で具体的イメージが描けない。村長は、村民に“小笠原主義”の意図が十分理解され、各分野で機能するキーワードとするための、説明責任が求められる。また、「公共事業に依存した経済状況では、いずれ村は立ちいかない。小笠原の特性を活かした新たな産業の創設が必要だ」とし、13年度に取り組む重点事業として「扇浦地区整備」「製塩事業」などを挙げている。

 それらの政策を推進し、実現させるには、村民の合意形成も不可欠だ。実状を十分に把握し、ビジョンに基づくプランに対して議論を積み重ねる努力が求められる。現状の手法では、こうしたことがおざなりにされていると言わざるを得ない。村長を含め、執行部の長期的な企画立案と実施にまでまとめ上げる力量、そして「住民のため」という視点があるのか、いまひとつ見えてこない。

 また、「TSL(の就航こそが観光振興の土壌づくりのカギを握る」と力説しているが、これまで村の重要課題であった空港問題と同様に“初めにTSLありき”であってはならない。持続的に観光を振興させるには、まず“魅力ある島の受け皿づくり”を前提とすべきだ。 

 六月三日には、任期満了に伴う小笠原村長選がある。すでに出馬を表明した宮澤現村長が無投票で選ばれるのか、それとも他の立候補者が名乗りを上げて、激しい選挙戦になるのか、微妙な情勢だ。いずれにしても、これからの政治には、「地球的(環境)規模」の視点と、「地域現場」の視点で、ひとりの『人間』を大切にできるヒューマニズムの思想が求められる、前代未聞の難しい時代に入ってきたといえよう。

 村の21世紀の方向性を決定づける重要な選挙となるだけにノ、村民は自分の目と意思で、候補者を厳しく見極め、選択したい。今、政治に一番望むのは、村の将来を担う若い人も希望が持てる、次世代に責任を持った村づくりを目指してほしいということだ。


(2000.1月号)

21世紀に向けて輝かしい門出を望む


 二十一世紀の輝かしい未来に向けて幕が開けた。新しい二〇〇一年は、私たちの「小笠原丸」はどう航海していくのだろうか。先人達が辛苦をなめ、築き上げてきた小笠原村をどう受け止め、どのような島を作り、そして、後世に残していくのか。村民が目指す目的地へ向け、しっかりした航海図を作り、航海をして欲しい。

 今、目的地に向かう小笠原丸の航海は、何処を向いても八方ふさがりの霧の中、「自立する村づくり」「自然環境との共生」という大きな課題が立ちはだかっている。

 第六次空港整備五カ年計画で新規事業として採択された小笠原空港建設も、今年で十二年目となるが、今年になって建設予定地の「時雨山案」が石原都知事の一言で白紙撤回され、またまた空転した。

 四年前、長期にわたった安藤政権から、新たに宮澤政権に変わった。新生小笠原の誕生で村民の期待は大きかった。が、この一期の間、宮澤村長の手腕に是々非々の評価はあるが、“まだまだ”の声も聞こえてくる。それだけ期待が大きかったということだろう。  景気も一段と悪くなり、観光業、商工業者も“不景気”を目の当たりに実感し、深刻に受けとめている。

 毎年執行される国の予算についても、政策が明確に示されていないため、折角ついた事業予算も、宙に浮いたまま使われずにいる事業もある。これでは、小笠原村は自立どころか、自滅しかねない。

 景気の自立回復がなお定かではない中で、当面の来年度予算編成はじめ、今回小笠原村が打ち出した「IT(情報技術)革命」の具体的な展開や、計画を立て直している「扇浦地区整備計画」も差し迫った重要課題となっている。  こういう時代だからこそ宮澤村長は、村のビジョンを明確に示し、村民の合意形成を十分に図る必要がある。その上で、それぞれの課題処理にふ さわしい人材を適材適所で配置し、万全の体制を作らなければならないだろう。

 自主財源もほとんど無く、一割自治にも満たない危機的な村財政だが、高齢化社会時代の本格化、産業構造の変革、環境問題、流動する社会情勢など、厳しい現実を真摯に見つめ、的確な進路を追及しなければならない。村民全体が「明日の小笠原」に向かってもう一度立ち上がる時にきている。それには、村民のひとりひとりが村づくりの責任を自覚し、全体観に立つことが求められている。

 舵取り役の村長を初め、議員、行政担当者には、今年を新生小笠原の「元年」とするために、時代を見抜いた聡明なリーダーシップを求めたい。  聡明なリーダーシップを持つ人は、決して独善的でもなく、まして独断専行でいくはずもない。民衆の声を十分に聞き、民衆の心がわかること。そしてひとりひとりの力を引き出して村全体のハーモニーを奏でていく名指揮者となるはずだ。

 21世紀元年の今年は、村長選もある。将来の小笠原の発展を占う意味で、大きな節目ともなる。地方分権の時代、村が主役、村民が主役となって、運命共同体である私たちの「小笠原丸」で、新世紀の海に船出しよう。


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