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NEw (07.07.6) 

小笠原村主催 11回目の「硫黄島墓参・慰霊の旅」

  硫黄島旧島民や戦没者遺族の終わらぬ「戦後」

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  今年で11回目を数える小笠原村主催の「硫黄島墓参・慰霊の旅」が、父島から南へ270キロ離れた太平洋戦争の激戦地・硫黄島(小笠原村)で、6月14日から17日にかけて行われた。この慰霊の旅には、森下一男村長をはじめ、村議会、戦没者遺族や小笠原在住旧硫黄島民、硫黄島協会、そして「平和教育」の一環として参加した小笠原村立父・母島中学校生徒ら189人が上陸した。

 帰島後、父親を硫黄島で亡くしたという宮崎県から参加した戦没者遺族の柳瀬泰子さん(67)が、筆者に涙ながらに語ってくれた姿が印象的だった。『摺鉢山からの眺望はすばらしかった。こんな静かで明媚な所が日米両軍の決戦地だったなんて信じられない。61年ぶりに3姉妹で初めて参加し、父の戦死した場所が見つかった。ようやく、親孝行でき、胸のつかえがとれた思い。本当に嬉しかった。』と。

 今回の訪島の旅で、強制疎開させられ、いまも帰島が許されない旧島民は喜びはひとしおであったに違いない。摺鉢山は戦前、島の小学生が卒業記念に登った山という。戦争さえなかったら、今ごろはたくさんの観光客の目を楽しませていたことだろう。

 これまで、本紙は戦没者遺族や硫黄島旧島民の人々から、お手紙や電話で様々な訴えを聞いた。その都度、旧島民の終わらない「戦後」を強く感じる。その中で、彼等が最もこだわり続けてきているのは遺骨の収集だ。平成19年現在、収集されずにいる戦没者の遺骨は未だ約1万3千余柱も残されている。大量の遺骨が残る限り、この島はいつまでも「戦後」に区切りがつかないのではないだろうか。それは、硫黄島旧島民や戦没者遺族の思いにも通じると思う。

 その内、硫黄島民戦没者は82人を数える。平和を築くということは、まず「戦後」をきちんと処理することだと思う。その一つとして遺骨収集が大切なことを改めて訴えたい。収集が難しくなった今だからこそ、国に大規模で徹底的な調査を願いたい。(Y・H)

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