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NEw (2008年7月12日 )                                      

 硫黄島訪島「移動教室」報告会 

   硫黄島の歴史・文化など----小笠原中学校

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 村立小笠原中学校は11日、 6月に行なわれた小笠原村主催の「硫黄島訪島事業」に参加した2年生20名が、戦争の悲惨さ、平和の尊さを体験を通じて知ってもらおうと,全校生徒62名が集まり報告会を行なった。今回の「平和教育」の一環として3泊4日の移動教室に参加した村立父・母島中学校2年生は20人が参加した。

 報告会では、移動教室(硫黄島)で体験したことをまとめあげ、各自テーマを分担して、硫黄島の戦前、戦中、戦後の産業、生活、文化、動植物等を調査し発表。生徒たちは、研究発表することでその時の体験を通して学び取った心情を、報告会の課題の中で表現していた。 

 生徒らは感想として「こんなきれいな島で戦争があったことが信じられない」「今なお硫黄島(東京都・小笠原村)は旧硫黄島島民や戦没者遺族にとって悲しみの島」「壕内の暑さに、兵隊さんの方の大変さを知った」などの感想を述べていた。

 学校側は、生徒たちに平和教育の一環として実施した移動教室は、硫黄島での悲惨な歴史を忘れてはならないこと、それを後世に伝える中学生となる精神を養って欲しいのが狙い。

 小笠原村が主催して行われている「硫黄島墓参・訪島事業」は、平成9年から始められ、以後、毎年追悼式が催され12回目となる。         

   ◇ 【硫黄島(いおうとう)】 ◇

 太平洋戦争の激化に伴い、昭和19年、小笠原諸島が最前線基地となり、6.886名(硫黄島民1.098名)の小笠原島民は、軍の命令で手荷物は風呂敷包み2個に制限され、着の身着のままで強制疎開をさせられた。このうち、15歳から60歳までの男子825名(硫黄島民160人)が軍属として島に残された。

 硫黄島は、太平洋戦争における日本本土での最初の戦場となった激戦地で、日・米軍合わせて2万7千余の犠牲者を出し、“玉砕の島”として広く知られている。硫黄島旧島民の戦死者は、軍属として徴用された160人の男性たちのうち82人が戦死した。硫黄島の旧日本軍将兵の戦死者は約2万人。このうち、1万2.000余の戦没者の遺骨は、いまだ未収集のまま残されている。

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