2010.11.8
「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー西崎さん
船から 転落死 〜小笠原村父島で
人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」(船長・井出金吾(52)のプロデューサーとして知られる西崎義展氏(75)が7日、東京都小笠原村父島で船から海中に転落死した。遊泳目的で船から海に飛び込もうとして誤って転落したとみられ、小笠原海上保安署などで現在、捜査を進めている。小笠原海上保安署によると、父島の扇浦付近に停泊していた船から、男性が海に落ちたと小笠原海上保安署に通報があったという。同署は監視取締艇(サザンクロスが現場に急行して救助した。西崎さんは、直ちに小笠原村の救急車で診療所に搬送されたが午後3時ころ死亡が確認された。
写真ー父島二見港扇浦沖豆腐岩付近に停泊中の「YAMATO」 11./8撮影
西崎さんらは今月の6日から父島を訪れ、父島の二見港に停泊していたが「YAMATO」(485トン)には西崎氏を含め9人が乗船しており、友人の1人が10時45分に小笠原海上保安署に通報した。10分後、小笠原海上保安署の監視取締艇に救助され、救急車で小笠原村診療所に搬送されたが、午後2時58分に医師により死亡が確認された。上下ウエットスーツ姿だったことから、同保安署は遊泳目的で自ら海に潜ろうとし、発生した事故とみて捜査を続けている。
11月8日付に報道された[
NHKや「日刊スポーツ紙」など報道によると、西崎氏は音楽プロデューサーを経て、1963年(昭38)にオフィスアカデミー(後のウエストケープコーポレーション)を立ち上げ、74年に「宇宙戦艦ヤマト」を製作した。同アニメは空前のヒットとなったが、97年に破産した後は、かつての名声を汚す出来事が続いた。翌98年には覚せい剤取締法違反などで逮捕、起訴。同年には「宇宙戦艦ヤマト」の著作権をめぐり、漫画家松本零士氏との裁判闘争がスタート。03年に自身が筆頭著作者であるが、松本氏との共同著作物であるとする法廷外和解が成立したが、ほかにもトラブルが絶えなかったという。 [2010年11月8日 紙面から]
西崎氏は、趣味が釣りとあって小笠原が好きで平成62年には初めて小笠原母島を訪れ、地元の漁船をチァーターし硫黄島で大物釣りを楽しんでいた。その後も、度々小笠原をおとずれ地元では知られていた。西崎さんは水産学校から買い上げて改修した汽船「YAMATO」(485トン)の初航海のため、6日から父島を訪れていた。